1945年7月7日、千葉市はアメリカ軍による大きな空襲を受け千葉市中心部が焼け野原となりました。
死傷者1,204人、被災個数8,489戸、被災面積205haと言う大空襲でした。
母校の検見川の校舎も大半が焼けてしましいました。
その先月の6月10日には蘇我地区にあった日立航空機千葉工場がやはり空襲を受けています。
軍都千葉は軍の敷地が462haあり、アメリカ軍に狙われました。
「きぼーる」で写真展が11日まで開かれています。
あれから74年、当時を知る方も少なくなりました。
先輩諸氏の中には当時を知る方もおられます。
同窓会のお付き合いをするまでは、七夕空襲のことも知りませんでした。
同窓会を通じて千葉の歴史を知る、当時を知るきっかけになりました。