母校の歴史は移転の歴史ですが、津田沼校舎があった地点は旧鉄道連隊第二連隊があった地です。
今昔マップと言うネットで公開されている新旧比較の地図です。
http://ktgis.net/kjmapw/index.html
ここで利用しました旧地図は昭和5年(1930)の地図です。
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では鉄道連隊とは何をする隊かと申しますと、国内各地や占領地での鉄道敷設を行っていました。
その演習線として松戸-津田沼-千葉に演習線を施設しました。
松戸-津田沼間は戦後、西武鉄道と京成電鉄との競争で路線は京成に軍配が上がり、新京成電鉄としてほぼ路線を引き継いで開業しました。
車両等の資材は西武に払い下げられました。その車両は現在、津田沼記念碑のある公園に静態展示されています。
路線はどうだったのでしょう。
まずは津田沼-松戸間の路線図です。
赤い線が路線です。
[鎌ケ谷雑学]
鎌ケ谷には数字の付く地名が多くあります。
これは明治維新で失業した武士を明治政府がこの地域の開墾に付かせ、入植した順に名前が付いています。
最初は「初富」冨があるようにと付けたそうです。
順に二和(ふたわ)・三咲(みさき)・豊四季(とよしき)・五香(ごこう)・六実(むつみ)・七栄(ななえ)・八街(やちまた)・九美上(くみあげ)・十倉(とくら)・十余一(とよひと)・十余二(とよふた)・十余三(とよみつ)の村々で全13村あります。
第一連隊のあった千葉方面はほとんどが道路になっています。
京成大久保の辺りは遊歩道にもなっています。青ラインは道路となったところです。
第一連隊は作草部辺りから千葉公園に掛けてあったのですが、鉄道連隊の隣には陸軍歩兵学校もありました。
第一連隊の材料廠の煉瓦の建物は千葉経済大学内に残っています。
千葉公園内に遺構が残っています。
こちらは一部です。他にもありますので探してみては如何でしょう?
戦争の遺構と言うと、こんなものも佐倉城趾公園の菖蒲園と悲しい話が伝わる姥が池の近くに残っています。
佐倉城は明治に陸軍が進駐し、城の全てが破壊されてしまいました。残るのは土塁程度です。
今はこれは残りました。陸軍便所の跡も歴博の近くに残っています。
菖蒲が綺麗ですので季節に訪れてみては如何でしょう?歴博駐車場や菖蒲園は無料です。
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