東日本大震災から8年が過ぎました。
当日はたまたま仕事をお休みして自宅にいました。
液晶テレビがグラグラ揺れ、あちらこちらの棚の物は落下、息子の部屋の液晶テレビが倒れ、画面が駄目になりました。
その後は家族や会社へ連絡しようとしても固定電話も携帯も全く役立たずで、何がITだ、役立たずものがと怒っても始まりませんでした。
テレビを付けると、三陸では津波が来る津波が来ると流れていました、時間が過ぎるとその津波の映像が流れました。
右往左往する車を見ながら、「おい、速く内陸部へ逃げろ、逃げろ」と叫んでいました。
テレビから目が離せなくなり、車や家が流され、各地で火の手が上がる地獄の様な映像をただただ見詰めることしか出来ませんでした。
震災後、二度ほど三陸を訪れました。あの被害状況を自分の目で確かめたく訪れました。
ボランティアとかそんな立派なことは出来ません。現地の人から「来てくれるだけで、嬉しい」の一言を貰って安堵するだけでした。
訪れ感じたのは、海岸には巨大な防波堤が延々と並び、国の姿勢は自然に立ち向かうぞと言う様な大型土木工事がメインの様でした。
自然に立ち向かっても駄目だろう、予測もしない以前の津波の倍の高さが来たのに、次に万が一あったら予測出来るのかと思う次第で、素早く逃げることをメインにしろと思いながら海が全く見えなくなった巨大防波堤を眺めて思う次第でした。
2万人近い死者や未だ発見されない行方不明者がいます。母校の全卒業生の数ほどの方です。
爆発原発の処理も遅々として進みません。数十年いや数百年かかるのかも知れません。人類が制御出来ないものの怖さです。
千葉県でも大きな被害がありました。8年と言うと長いですが、歳をとると昨日の様に思い起こされます。
亡くなれた方、行方不明者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。