文化の日、好天の下を船橋漁港から船橋大神宮を抜け、津田沼まで歩きました。
近年、船橋沖では外国船に運ばれたホンビノス貝が豊漁で、漁師の懐を喜ばせているようです。
沖アサリの名でも売られているようです。
津田沼と言うと、鉄道連隊が脳裏に浮かびます。
松戸-津田沼-千葉と演習線が敷設されていました。
松戸津田沼間は新京成電鉄となりましたが、千葉までの区間は廃止され、道路となっています。
母校のあった津田沼から東習志野にあるマラソン道路、ヤマト運輸のある広尾十字路から穴川橋下を抜け千葉公園まで通じていたのです。
作草部や千葉公園に若干の遺構が残されています。