本校の南側に池があるのをご存じでしょうか?
生実池または弁天池と呼ばれていますが、江戸時代には生実城と呼ばれた生実藩の陣屋の外堀でした。
千葉市内では唯一の大名である森川氏、秀忠の側近として仕え、秀忠死去にともない殉死したと言う森川出羽守重俊。
父秀忠を嫌っていた三代目家光からのお家取り潰しを逃れるために殉死したともいわれています。
その後、幕末まで森川氏は存続しました。
初代から歴代藩主の墓地が生実陣屋だったすぐ下の重俊院というお寺にあります。
生実は歴史の宝庫なんです。是非母校を訪れた際にはお立ち寄り下さい。
車なら数分、歩いても15分程度です。重俊院に広い駐車場やトイレがあります。
千葉市埋蔵文化財調査センターに車を駐めて、大覚寺山古墳にも訪れてみて下さい。