豊田様(44E)から小野満先輩の貴重な情報を戴きましたので紹介致します。
小野満さんは新制県立高校になる前の昭和21年3月に千葉工業学校工業化学科を卒業されています。(C21A)
Wikipediaによりますと
・1929年1月3日(昭和4年)現在の千葉県市原市磯ヶ谷にて、四人兄弟の三男として誕生。生家が貧しかったため、生後間もなく同じ市原市の小野家の養子となる。その後は姉崎の小野家の長男として育つ。
・千葉県市原市立姉崎小学校卒業。
・千葉工業高校卒業。
空襲で焼けた検見川校舎からリヤカーで実習機材などを津田沼校舎に運ばれたかも知れません。
千葉市支部の大御所石井進大先輩と同じ学び舎です。石井進回顧録
2008年(平成20年)1月2日、肺炎で死去。78歳でした。
——-豊田氏紹介文——–
いずれも吹奏楽がらみですが。
昭和44年1月、千葉県文化会館、定期演奏会時に故小野満さんにご挨拶いただいたときの写真です。
前年に生実校舎落成、創立33周年記念がありそのご縁でおいでいただいたと思います。
当時の小野満先輩は長いこと紅白歌合戦の演奏などでなどかなりの有名人でした。
今思えばよくぞご出演いただけたかと思います、ありえないですよね。
女性は葉村エツ子(エッコと呼んでいました。)さんで字が良かったかはっきりしませんでしたが、33周年記念のスイングビーバーズの演奏と一緒に出演いただいたときのスナップで、体育館のステージ横の控室での1枚です。
その当時葉村さんはNHK教育テレビでレギュラー番組を持っていました。
昭和44年1月、第12回定期演奏会終了後の全員の写真です。
1~2年生全員の女子生徒かと思われる方々のお手伝いを頂いているようです。
すごい人数で支えていただいていたこと写真を拡大して初めて気づきました。
良い顔してます満面の笑み、やり切った感50年も経って、こんな時もあったかと思います。
最前列左は当時の司会の、管理人さんの同級生中島さんです。
そして、山本先生、指揮の水島先生、その隣が同じく同級生の津田部長。
最後列の右に村越先生、生徒会の顧問?だったでしょうか。
下の段は昭和41年吹奏楽コンクール関東大会(水戸市)での模様です。
千葉県大会では優勝以外許されなかった時代でした。
良かったら公開してください。
沢山の方からコメントや思い出など頂けると盛り上がってうれしいのですが!!!!
S43年 吹奏楽コンクール 関東大会(千葉文化会館こけら落とし記念)横1920dpi
———-ここまで————–
上4枚の画像サイズは送られて来たままのサイズです。
皆様のコメントをお待ちしております。
管理人さん、ありがとうございました。
S43年 カラーの写真、ステージが奇麗なので、理由を考えていました。
1、演奏者の配置がきちっと計算されていた。
現実には入れ替え時間の少ない中、ここまできれいにひな壇にセットできている。
2.足の開き方までそろえられている。
全員がそろって立ち上がる、呼吸を合わせる、練習やりましたね。
ほぼ軍隊並みの厳しさでした。
貴重な写真を提供していただきありがとうございます。
>ほぼ軍隊並みの厳しさでした。
そうでしょうね、現在は行進などでは足並みも自由ですが、当時は現在の北朝鮮並みの練習をしたのでしょう。
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