花輪町の借家(農家)に住んでいた頃、裏の竹藪で義兄から借りたトランペットで練習していたのを思い出します。
結局、トランペットはものにはならず、お終いでした。今はCDで聴いている次第です。
この曲、ラジオの欽ちゃんの音の出る信号機募金”通りゃんせ基金”で使われていた様な記憶がありますね。
幼子連れ、千葉市街の扇屋デパートに募金に行きましたね。
千葉駅前の塚本ビルに千葉そごうが開店したのが昭和42年、奈良屋デパートがそごう横に二ユーナラヤとして移転し、跡地がセントラルプラザとなったのが昭和47年。
担任の米ノ井先生が奈良屋デパートの抽選で真っ赤なトヨタ1600GTが当たり、颯爽と生実校舎へ通っていました。
この車は昭和42年から1年半しか発売されていないので、管理人3年生の昭和43年の事だと思います。
買い物客の流れを千葉そごうから戻そうとしたのでしょうか?セントラルプラザも平成13年に閉店し、今は高層マンションが建っています。
千葉中央ではパルコも撤退し、デパートは無くなりました。日本全国旧繁華街はさびれるばかりです。
今、皆既月食を観ながらこの曲を聴いています。
哀愁を帯びたいい曲ですね、初めて聴いたのは高一の頃です。
余談ですが
母校の駐車場に赤い車が停まっていたのを見た事がありました当時は白かシルバー色だったので誰の車かと
思っていたが、まさか米ノ井先生だったとは驚きです。
夜空の皆既月食、わたしも眺めていました。
晴れ渡った空の皆既月食は久しぶりかも知れませんね。
真っ赤な1600GTの記憶がありますか、嬉しいです。
2016年、6年前にクラス会を開催したとき、米さん90歳と申しておりました。
今は96歳でしょう。毎年来ていた年賀状、今年は途絶えました。
元気でおられるかどうか、恐くて電話をかけられません。