• カテゴリー別アーカイブ お知らせ
  • 新元号が発表になりました。

    5月1日0時に平成から新元号「令和」になります。
    同窓会の書類には元号が用いられているのが多数あります。
    今後は元号だけでは昭和がメインの支部では年がよく分からないと思います。
    西暦を併記していきたいと思います。

    4月4日(木)に総会前の準備委を蘇我コミュニティセンターで開催を致します。
    名札等の作成致しますので、まだ行事参加調査票の提出をされていない方は早急に投函をお願い申し上げます。


  • 歴博リニューアルオープン

    皆さんも一度は訪れたことがあると思いますが、佐倉城址に建つ国立歴史民族博物館が開館以来36年ぶりにリニューアルしました。

    国立歴史民族博物館

    全館見学するには一日掛かると思いますのでお弁当持参で行くのが良いのかなと思います。
    博物館前の芝生でのんびりするのも良いでしょう。
    これからは花見、桜が終わると、姥が池側の菖蒲園で菖蒲が咲きます。

    佐倉城址公園のさくら

    佐倉城址公園の菖蒲

    佐倉城址公園を抜けると別館の「くらしの植物苑」もありますので、寄ってみるの良いでしょう。


  • 会報発送委員会

    明日8日、会報「ちばし支部だより」10号の発送作業を行います。
    会報に含め、4月14日(日)開催の総会の資料なども送付致します。
    また来期行事参加アンケートや年会費払込票も送付致します。
    今年度からはハガキから封書による返送となりますので、お間違い無い様お願い申し上げます。
    また、会員の皆様には会費及び総会懇親会会費の振り込みをお忘れなくお願い申し上げます。
    支部活動へのご寄付も賜っておりますので、こちらも宜しくお願い申し上げます。


  • 小林多津夫の木

    本校のグラウンドの片隅に一本のツバキの木があるそうです。
    そのツバキの木の名前が「小林多津夫の木」と名付けられているとのこと。
    管理人世代の後のことなので知りませんでしたが、本校を撮影舞台とした映画「スクール・ウォーズHERO」に映っているとのことで、資料などが南総支部H氏より送られています。

    「スクール・ウォーズHERO」の件は同窓会報15号に記載されています。

    このツバキの木の謂われだそうです。

    記事一部拡大

    彼は3年生のとき急逝したため卒業生名簿には記載されていません。
    この木、当時の彼のS57EBクラスメイトが植樹したとのことです。
    健在であれば57歳、ご冥福をお祈り申し上げます。


  • 幹事会開催

    昨日27日、蘇我コミュニティセンター講習室3にて幹事会が開催されました。
    出席幹事は15名、3時間超、支部長・本部会長から本部の状況説明があり、支部として来期第6期の総会に向けての話し合いが行われました。
    幹事の皆様、長時間の会議、お疲れ様でした。


  • 君待橋と母校

    昨日、「千葉市歴史散歩のビデオを観たよ」と南総支部長谷川氏より君待橋に関する資料が送られて来ました。
    整理しましたので、ご紹介致します。

    さて、長年、君待橋の道標が母校と一緒に彷徨していたことはご存じのことと思います。
    現在は母校から市へ返還されていますが、寒川-検見川-津田沼-生実と転々としました。
    なぜ母校と共にしたのかは分かりませんが、平成11年に市に戻されました。
    寒川の港校舎移転と共に連れて行かれたのでしょうか。

    母校は千葉商業学校(現・県立千葉商高)の跡地に昭和10年に開校しました。

    跡地は現在は君待公園です。

    同窓会が建立した記念碑です。一時工事で撤去されていましたが、現在は復帰しています。

    この地から海側へ進み、大橋(旧寒川大橋、現在は国道357号線が寒川大橋となっています。)南側の港町交差点側に君待橋之碑が建立されています。
    道標もこの地へ戻りました。

    碑の裏に由来が記載されています。

    戻された道標です。

    返還式でしょうか?

    10号同窓会報に写真が掲載されています。
    千工同窓会報はこのホームページで1~10号、15号はご覧いただけます。(メニュー[千工沿革]-[同窓会報])

    君待橋に関しては南総支部会報で取り上げていた様です。
    南総だより19号(S58.7.8)

    南総だより112号(H26.7.11)

    君待橋の由来(フジサンケイリビング編京葉散歩4千葉市より)
    その一
    その昔(不明)、この橋のかたわらに美しい乙女が住んでいて、川をへだてた向かい側の村の若者と恋に落ち、二人は橋のたもとで恋を語り合ったが、ある日、大雨のため橋が流されてしまいました。娘が放心して対岸をみつめている姿を見た若者は、泳ぎ渡ろうと激流に飛び込んだが、みるみる水中に姿を没した。娘は救うに救えず若者の後を追って濁流へ身を投じた。と言うお話。

    その二
    治承4年(1180)、千葉常胤とその一族が、安房から北上してきた源頼朝をこの橋に迎えたが、頼朝が橋の名前をきいたとき、常胤の六男胤頼「見えかくれ八重の潮路を待つ橋や渡りもあえず帰る舟人」とよみ応えた。と言うお話。

    その三
    長徳元年(992)、藤原実方(平安時代中期の貴族・歌人)の歌で、彼が陸奥国に向かう途中に里人に橋の名を問い「寒川や袖師ヶ浦に立つ煙君を待つ橋身にぞ知らるる」と詠んだ。と言うお話。
    ※当時、西国から東国への交通路は荒れた武蔵国を避け、相模国を抜けるか、東京湾から上総国に上陸するのが主でした。日本武尊もそうですね。そう言うことで市原市付近には土着豪族が西国を真似た古墳が多い様です。

    丹後堰
    千葉氏の家臣だった丹後布施氏、千葉氏滅亡後に土着した豪族で、江戸時代に寒川村の名主でした。毎年、干ばつに悩まされる周辺農民を救うために、慶長18年(1613)、に佐倉藩主、土井利勝の許しを得て私財を投じ都川の水を分流させるため土木計画に着手。
    都川の星久喜と矢作の中間に堰を築いて分流させ、大学病院のガケ下を回って亥鼻山のふもとを通り、寒川、今井方面まで長さ約5km半の丹後堰を完成させました。

    千葉支部総会会場、ホテルプラザ菜の花からも間近ですので、母校記念碑と君待橋之碑、総会前後に訪れてみては如何でしょう。


  • 名簿案内

    皆様のご自宅に名簿作成購入の案内ハガキが届いていると思います。
    ネットでも手続き可能です。

    https://www.dousoukai.ne.jp/

    開いたら「新規登録」をクリツクします。

    次の画面一番下に「同意」のボタンをクリックします。

    送られて来た往復葉書「往信」面に記載された「仮ID」を入力し、送信ボタンをクリツクします。

    その後の操作は画面の指示に従って入力や変更などの手続きをして下さい。


  • 東日本大震災時の本校状況

    ライブラリーに東日本大震災時の様子を記録したデータがありました。
    平成23年(2011)11月に「千葉県教員委員会」が作成したものです。
    PDFに変換をしましたので、是非ご一読していただければと存じます。

    「東日本大震災」を振り返って

    貴重な資料なので、タブメニュー「書庫」のサブメニューに追加をしています。


  • 確定申告

    皆さん、確定申告をされていますか?
    年収400万以下は申告の必要はありませんが、すれば税金が還付される場合もあります。
    また連動して地方税額も見直しになり、減額されることもあります。
    収入が年金のみの方ももちろん対象者です。

    年金機構から届いた「平成30年度分 公的年金等の源泉徴収票」の源泉徴収額が0円以外の方は還付申告することをお薦めします。
    生活を共にする夫婦で支払った医療費が10万または年金額の5%超えている方、また多額の生命保険などに加入されている方は申告しましょう。

    還付請求は1月から受け付けていますので、還付請求の方は混雑する確定申告期間前に手続きをすると早めに還付されます。
    マイナンバーカードのある方は電子申告が出来ます、またカード未作成の方はネットで申告書を作成し、印刷して必要書類を同封し、所轄の税務署へ持参または郵送です。

    詳しくは国税庁ホームページ