千葉市の歴史散歩

千葉市支部の一員として千葉市の歴史も知っておかなければと市歴史を中心に市街地を歩きました。
ご存じように母校検見川校舎も空襲で焼けていまい、津田沼に移転しました。
明治以降戦前まで千葉市は軍都と軍需産業の町として発展しました。
それが原因で昭和20年(1945)の6月と7月にB-29による大空襲を受け、市街地のほとんどが焼け野原となり、戦前の歴史資産は殆どありません。
特に7月7日の空襲は七夕空襲と呼ばれ、多くの犠牲者も出ました。
戦後は川崎製鉄の進出で、大きく発展をしましたが、公害にも悩まされ続けました。
我が母校大森小学校の校歌には「たなびく煙」と言う歌詞が入っていましたが、今では変わっています。
http://www.cabinet-cbc.ed.jp/school/es/015/

11日金曜日、JR千葉駅から市街地を右に左に巡り、京成千葉中央駅前までを歴史散策しました。
関口副支部長の自宅前も通過しました。


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