民間航空発祥の地から一期埋立で造られた地を検見川へと向かいました。
検見川校舎へ通われた方の中には京成検見川駅を利用された方もいるのかなと思いながら駅前を抜け、検見川神社へ、当時は八坂神社と言う名称でした。
また、検見川校舎時代にはJR新検見川駅はまだありませんでした。
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千葉市歴史散歩第6弾ビデオ1
千葉市内をせこく歩くビデオの6日目、JR稲毛駅から稲毛浅間神社を巡り稲岸公園までです。
3月15日発行会報10号の表紙を飾った2箇所を巡っています。
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千葉市歴史散歩第5弾ビデオ
JR西千葉駅からJR稲毛駅までの歴史散歩です。
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千葉市歴史散歩第6弾
3月13日(水)、稲毛駅東口から新検見川駅まで巡りました。
稲毛駅は総武鉄道が明治27年(1894)、市川-佐倉間を敷設した時点にはありませんでした。5年後に地元住民の土地寄付により西口(海側)が新設されました。
東口(山側)は昭和に入り、昭和35年、地元の東口開設促進委員会が資金を集め、国鉄に請願し開設されました。
稲毛浅間神社の近くです。
このお店の歴史は半世紀を超えていると思います。
浅間神社に入りますが、隣の稲毛公園を巡ります。往時の松林風景が残る公園です。
公園を抜けると市民ギャラリーに出ます。隣の旧神谷伝兵衛別荘は修復中で立入禁止でした。工事は2020年1月までです。
国道14号線を渡り稻岸公園へ入り、隣の千葉トヨペットです。現在の県警本部のところにあった旧千葉市役所を移築しています。
同窓会会長がこの近くに住んでいます。
稻岸公園は一次埋立で出来た公園で、民間航空発祥の地碑があります。
大正5年(1916)1月、この地が砂浜だった頃、伊藤音次郎が日本で初めて飛びました。
高洲スポーツセンターです。引退した「海洋調査船こじま」が海の上に置かれ公民館として利用されていました。
この船は昭和20年(1945)「志賀」と言う海防艦が完成し、その後海上保安庁所属となり退役しました。
再び国道14号線に出ます。千葉西警察署交差点です。正面は東関道です。
小さな神社などを巡り、京成検見川駅近くの廣徳院に寄ります。見事な大銀杏がありました。
京成検見川駅です。検見川校舎に通われた方で利用された方もおられると思います。駅舎は昔と変わっていないです。
JR新検見川駅です。開業は昭和26年なので、検見川校舎の頃はありませんでした。
西地区の飲み会はこの駅周辺です。稲毛駅に比べ、のどかな駅です。
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ちばし支部だより10号発行
千葉市支部会報「ちばし支部だより」10号を発行いたしました。
タブメニューからか下記ページでPDF閲覧可能です。
(個人情報が含まれていますので検索されない様にパスワード設定ページです。)
パスワード chikou を入力すると閲覧可能になります。
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あれから8年
東日本大震災から8年が過ぎました。
当日はたまたま仕事をお休みして自宅にいました。
液晶テレビがグラグラ揺れ、あちらこちらの棚の物は落下、息子の部屋の液晶テレビが倒れ、画面が駄目になりました。
その後は家族や会社へ連絡しようとしても固定電話も携帯も全く役立たずで、何がITだ、役立たずものがと怒っても始まりませんでした。
テレビを付けると、三陸では津波が来る津波が来ると流れていました、時間が過ぎるとその津波の映像が流れました。
右往左往する車を見ながら、「おい、速く内陸部へ逃げろ、逃げろ」と叫んでいました。
テレビから目が離せなくなり、車や家が流され、各地で火の手が上がる地獄の様な映像をただただ見詰めることしか出来ませんでした。震災後、二度ほど三陸を訪れました。あの被害状況を自分の目で確かめたく訪れました。
ボランティアとかそんな立派なことは出来ません。現地の人から「来てくれるだけで、嬉しい」の一言を貰って安堵するだけでした。訪れ感じたのは、海岸には巨大な防波堤が延々と並び、国の姿勢は自然に立ち向かうぞと言う様な大型土木工事がメインの様でした。
自然に立ち向かっても駄目だろう、予測もしない以前の津波の倍の高さが来たのに、次に万が一あったら予測出来るのかと思う次第で、素早く逃げることをメインにしろと思いながら海が全く見えなくなった巨大防波堤を眺めて思う次第でした。2万人近い死者や未だ発見されない行方不明者がいます。母校の全卒業生の数ほどの方です。
爆発原発の処理も遅々として進みません。数十年いや数百年かかるのかも知れません。人類が制御出来ないものの怖さです。
千葉県でも大きな被害がありました。8年と言うと長いですが、歳をとると昨日の様に思い起こされます。
亡くなれた方、行方不明者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
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南総支部44回総会
3月10日(日)、君津駅前のホテル千成にて南総支部44回定期総会が開催されました。
管理人(44E)と斉木氏(33C)と二名、千葉市支部代表とし参列いたしました。
総会は28名の会員と23名の来賓参加の中厳粛な中で開催されました。
各支部、高齢化による会員数減の中、南総支部も例外では無いようですが、生実卒が過半数を超える状況は役員・会員の長年の相互努力によるものと感じました。
総会は予定時間前に終了し、懇親会へと移り、支部を越え和やかな歓談が弾みました。
千葉から君津往復の間、斉木氏からは幼少時や津田沼に通った頃の貴重なお話を伺いました。
自宅の前を四街道の志津聯隊に行く鉄道第二聯隊の軽便鉄道が走っていたのを記憶していたとか、都賀のお話などを伺い、千葉市歴史散歩で歩いた付近の昔話などを伺うことが出来ました。
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続・千葉市歴史散歩
本日は抜ける様な青空、花粉症の方には最悪な日ではないかなとご想像致します。
当家族は今のところは花粉症遺伝子が無いのか、誰一人発症していません。ありがたいことです。千葉市歴史散歩の続きを歩いて来ました。
前回JR西千葉駅で終えたので、西千葉駅東口から再スタートしました。
改札を出て駅前の階段前にこんなのがありました。
あれ?糸川英夫先生のペンシルロケットではありませんか?西千葉と何の関係?駅を後にスタート、駅西側に回り、国道14号に下りました。そうなんです。ここから西は昔は海だったので下りたのです。
再び、陸地に戻り、千葉大弥生キャンパス前を抜け、放医研などに寄り道をしながら県スポーツセンターへと向かいました。
県営球場が大変なことになっていました。取り壊し?とガードマンに尋ねたら、大改修だそうです。
母校野球部の応援に駆け付けました。また銚子商-市立習志野の決勝戦なども芝生でゴロ寝しながら見に行きましたね。
梅とモノレール、球場南側には早咲きの桜が今か今かと待ち構えています。
スポーツセンターで折返し、JR稲毛駅へと戻ります。途中、現在の穴川から花見川団地まで一直線にあった鉄道第一聯隊演習線跡地の道路上の穴川橋を抜けます。
京葉工業高校前や千葉女子高前を抜け、稲毛駅にゴールしました。稲毛浅間神社なども巡り、新検見川駅までの予定でしたが、無理でした。
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会報発送委員会
明日8日、会報「ちばし支部だより」10号の発送作業を行います。
会報に含め、4月14日(日)開催の総会の資料なども送付致します。
また来期行事参加アンケートや年会費払込票も送付致します。
今年度からはハガキから封書による返送となりますので、お間違い無い様お願い申し上げます。
また、会員の皆様には会費及び総会懇親会会費の振り込みをお忘れなくお願い申し上げます。
支部活動へのご寄付も賜っておりますので、こちらも宜しくお願い申し上げます。
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市立京都伏見第一工業高校
タイトルの高校は実在しませんが、モデルとなった工高があります。
京都市立伏見工業高校です。
映画のお話は弱小ラグビーチームを全国優勝に導いたお話です。
TBS系で放送されたテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」を映画化したのが「スクール・ウォーズHERO」です。
この高校は残念ながら昨年春に統合され97年の歴史に幕を閉じ閉校となりました。「スクール・ウォーズHERO」は平成15年(2003)の夏休み期間中に本校を撮影地として撮影されたそうです。
予告編
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幹事会開催
昨日27日、蘇我コミュニティセンター講習室3にて幹事会が開催されました。
出席幹事は15名、3時間超、支部長・本部会長から本部の状況説明があり、支部として来期第6期の総会に向けての話し合いが行われました。
幹事の皆様、長時間の会議、お疲れ様でした。
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習志野を歩く
津田沼は習志野市、高根公団は船橋市、船橋市に習志野の地名がたくさんあります。
明治天皇が習志野と名付けた栄誉ある地名なんですね。母校があった津田沼の地から高根公団までの新京成沿線健康ハイキングのビデオです。
当時と違い新京成沿線はすっかり開発され住宅街ばかりです。
今では日本住宅公団の公団名が残る珍しい駅となりました「高根公団駅」
駅周辺の旧団地は老朽化で戸建てやマンションに建て替えが進んでいます。
クラスメートがこの旧公団の団地に住んでいます。将来どうなるのでしょう。
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亀戸天神社梅まつり
千葉県の方でも亀戸天神はご存じだと思います。
ただいま「梅まつり」の真っ盛りです。
訪れてみては如何でしょう。
JR千葉駅からJR亀戸駅までは電車で40分、550円です。