流山を歩いたビデオです。
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利根運河
流山市を流れる利根運河を歩いて来ました。
2008年春、第13回本部ハイキングで歩かれた方もいるのかと存じます。
その時は参加していませんのでコースなどは知りません。
今日は東武アーバンライン線運河駅から古墳公園に立ち寄り、運河に出て国道16号線柏大橋を渡り、野田市へ入り、再び運河に出て、東京理科大の公園、理窓公園を散策して運河公園へ出ました。
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師戸城
臼井城跡から印旛沼を挟んだ印西市に千葉県立印旛沼公園があります。
ここは中世に臼井城支城の師戸城があったところです。
その頃は印旛沼も単独の沼でしたが、現在では利根川や八千代市の新川に繋がっています。
佐倉市臼井地区から舩戸大橋を渡り印西市師戸地区へと向かいました。廃屋には竹が突き抜けていました。
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臼井城
京成本線に乗ると普通「うすい行き」が走っています。
京成本線のダイヤは面白く、普通列車は全て京成臼井の「うすい」終着です。
そして、特急・快速が京成佐倉駅から全て各駅停車となります。
大佐倉駅なんて特急が停まる駅では無い様な気がしますが、各駅停車の普通がありませんので、特急停車となっています。
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ
そんな臼井を巡ってみました。城と言うと佐倉城ばかりですが、酒々井には本佐倉城跡もあります。
臼井は千葉氏一族の臼井氏が城を築いた地です。戦国時代には城の争奪で千葉氏、太田氏、里見氏、上杉氏、北条氏、豊臣氏と戦いが絶えなかった様です。
徳川になり、初期に臼井藩が置かれましたが、藩主が移封され廃城となりました。
成田街道が通っていたこともあり、要所だったのでしょう。
現在も国道296号線成田街道が抜けています。
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廿五里と二十五里
市原市支部の会報41号に清水氏(29C)の「市原市難解な地名集」と言う記事がありました。
「廿五里」があり、あれれ、千葉にもあったぞと思い起こしました。
市原市の「廿五里」は「ついへいじ」と読みます。
市原市の広報に掲載されていました。
平成23年3月1日号の一部です。
場所は
千葉市の「二十五里」は「つうへいじ」と読みます。
やはり、鎌倉時代です。千葉常胤の重臣の通平寺氏が、敵の侵入に備えて、この地に砦をつくったのですが、鎌倉からの距離が二十五里あるので、廿五里城と名付けたそうです。
現在、この地名は宅地開発され「みつわ台」となり、消滅しましたが、一部史跡として残っています。で実際に二十五里あったのでしょうか?
鎌倉-五井間のJR距離は106.2km 一里=3.9kmで約27里
鎌倉-千葉間のJR距離は89.6km 約23里
まあ、鎌倉時代なので、そんなものでしよう。千葉市の二十五里付近を歩いたビデオです。
ついでに頼朝が房州に上陸した安房勝山のビデオです。
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八柱から常盤平へ
東葛地区の松戸を歩きました。
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南総支部44回総会
3月10日(日)、君津駅前のホテル千成にて南総支部44回定期総会が開催されました。
管理人(44E)と斉木氏(33C)と二名、千葉市支部代表とし参列いたしました。
総会は28名の会員と23名の来賓参加の中厳粛な中で開催されました。
各支部、高齢化による会員数減の中、南総支部も例外では無いようですが、生実卒が過半数を超える状況は役員・会員の長年の相互努力によるものと感じました。
総会は予定時間前に終了し、懇親会へと移り、支部を越え和やかな歓談が弾みました。
千葉から君津往復の間、斉木氏からは幼少時や津田沼に通った頃の貴重なお話を伺いました。
自宅の前を四街道の志津聯隊に行く鉄道第二聯隊の軽便鉄道が走っていたのを記憶していたとか、都賀のお話などを伺い、千葉市歴史散歩で歩いた付近の昔話などを伺うことが出来ました。
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習志野を歩く
津田沼は習志野市、高根公団は船橋市、船橋市に習志野の地名がたくさんあります。
明治天皇が習志野と名付けた栄誉ある地名なんですね。母校があった津田沼の地から高根公団までの新京成沿線健康ハイキングのビデオです。
当時と違い新京成沿線はすっかり開発され住宅街ばかりです。
今では日本住宅公団の公団名が残る珍しい駅となりました「高根公団駅」
駅周辺の旧団地は老朽化で戸建てやマンションに建て替えが進んでいます。
クラスメートがこの旧公団の団地に住んでいます。将来どうなるのでしょう。
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新京成沿線健康ハイキング
今日は青空、新京成電鉄が開催をしている「新京成沿線健康ハイキング」に参加をして来ました。
今回のコースは第73回コースで期間設定コースです。
期日指定コースのときは駅前の公園などでスタート受付をしてからですが、期間設定コースは新京成の駅やホームページに置いてあるコースマップを身ながら自由スタートです。
今回のスタート駅は新京成新津田沼駅。津田沼母校があった地です。
イトーヨーカ堂口から出て、津田沼一丁目公園に寄りました。
ここには母校の記念碑が同窓会の手で建立されています。
記念碑を拝み、スタートし、11kmを歩き、無事に高根公団駅にゴールをしました。
3月7日(木)まで開催をしています。久し振りに訪れてみては如何でしょう。
後日、ビデオで紹介したいと思います。
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竹岡ハイキングビデオ
先日、写真で紹介をしました。竹岡駅からのハイキングビデオです。
三部作になっています。
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JR内房線竹岡駅から「駅からハイキング」
竹岡駅スタートのこのコースは初めてのコースです。
多分、竹岡駅開業以来の人出ではないかなと思うほどの参加者がありました。受付の方々もあまりの参加者の多さに驚きと嬉しい悲鳴を上げていました。
黄金井戸(こがねいど)です。4月末頃にはヒカリモが外の光を反射し輝きます。黄金の様に見えるそうです。
燈籠坂大師参道の切通しトンネルです。鋸山と同じ方式で削られたそうです。
お堂の上の道から造海城跡に足を運びました。多分、本丸跡かと思われます。
城跡に行っている間に第一陣(JR下りは一時間に1本)が去りました。
不動院です、美味しい抹茶と饅頭のお接待がありました。ご馳走様でした。
急坂を上り、「天羽マリーンヒル」と言う別荘地を抜けると見晴し抜群でした。
南総支部の皆さん、同窓会のために一軒お願いします。
山を下りると、酒蔵が待っていました。美味しく試飲だけさせてもらいました。
観音様に本日のハイキングが無事に完了したことを感謝し、上総湊駅へとゴールしました。
なかなか楽しいコースでした。
このコースは1月21日月曜日まで開催しています。
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千葉市の歴史散歩
千葉市支部の一員として千葉市の歴史も知っておかなければと市歴史を中心に市街地を歩きました。
ご存じように母校検見川校舎も空襲で焼けていまい、津田沼に移転しました。
明治以降戦前まで千葉市は軍都と軍需産業の町として発展しました。
それが原因で昭和20年(1945)の6月と7月にB-29による大空襲を受け、市街地のほとんどが焼け野原となり、戦前の歴史資産は殆どありません。
特に7月7日の空襲は七夕空襲と呼ばれ、多くの犠牲者も出ました。
戦後は川崎製鉄の進出で、大きく発展をしましたが、公害にも悩まされ続けました。
我が母校大森小学校の校歌には「たなびく煙」と言う歌詞が入っていましたが、今では変わっています。
http://www.cabinet-cbc.ed.jp/school/es/015/11日金曜日、JR千葉駅から市街地を右に左に巡り、京成千葉中央駅前までを歴史散策しました。
関口副支部長の自宅前も通過しました。
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佐倉ハイキング・ビデオ
8日に歩いた佐倉のビデオです。