• 燃えよドラゴン

    同窓会と全く関係ございません。
    管理人が1990年代にMS-DOSで遊んでいた頃の師匠(1学年下、大阪の工業高電気科卒)の作品です。
    パソコンで音楽が出来ると言うので、母校吹奏楽部3ヶ月のキャリアで無謀にも仲間に入れてもらいました。
    楽譜なんて退部以来見たことがありません。まずはドレミの楽譜の読み方から初めて、楽譜をABCの記号に換えてテキストエディタに書いて行きます。
    使う画像なども指定します。完成しMMLファイルとして保存します。
    このMMLファイルをコンパイルすると出来上がりです。
    まだ、日本にはインターネットなんてありません。パソコン通信の時代です。
    電話代3分10円とパソ通料金1分10円だったか20円だったかの時代です。
    送受信するファイルは小さいほど良いので、キロバイトのサイズでした。

    Windows上にNECPC-98の仮想空間を作るソフトを立ち上げます。
    この動画は画面キャプチャーしました。

    音楽ソフトが立ち上がったら該当ファイルを起動させます。

    で、管理人の作品です。師匠の足下にも及びませんでした。


    パソコンを弄くりまわした懐かしい時代でした。


  • 師戸城

    臼井城跡から印旛沼を挟んだ印西市に千葉県立印旛沼公園があります。
    ここは中世に臼井城支城の師戸城があったところです。
    その頃は印旛沼も単独の沼でしたが、現在では利根川や八千代市の新川に繋がっています。
    佐倉市臼井地区から舩戸大橋を渡り印西市師戸地区へと向かいました。

    廃屋には竹が突き抜けていました。


  • 臼井城

    京成本線に乗ると普通「うすい行き」が走っています。
    京成本線のダイヤは面白く、普通列車は全て京成臼井の「うすい」終着です。
    そして、特急・快速が京成佐倉駅から全て各駅停車となります。
    大佐倉駅なんて特急が停まる駅では無い様な気がしますが、各駅停車の普通がありませんので、特急停車となっています。
    \(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ
    そんな臼井を巡ってみました。城と言うと佐倉城ばかりですが、酒々井には本佐倉城跡もあります。
    臼井は千葉氏一族の臼井氏が城を築いた地です。戦国時代には城の争奪で千葉氏、太田氏、里見氏、上杉氏、北条氏、豊臣氏と戦いが絶えなかった様です。
    徳川になり、初期に臼井藩が置かれましたが、藩主が移封され廃城となりました。
    成田街道が通っていたこともあり、要所だったのでしょう。
    現在も国道296号線成田街道が抜けています。


  • マリーンズ応援ナイター案内発送

    前期末に送付しました「行事参加調査票」にて参加及び要案内の方に、昨日、案内を発送致しました。
    同封の郵便払込票をご利用の上、会費を払い込みをお願い致します。
    締切は6月27日となっていますので、速やかな払込をお願い申し上げます。

    事務局及び行事実行委員会


  • 大巌寺

    本校東側に大きな寺院があります。
    天文年間(1532年 – 1555年)下総国生実城城主原胤栄夫婦の開基のお寺です。
    原氏滅亡後には徳川家康の厚い保護がありました。
    裏山は鵜の森と言われ、数千羽のカワウの巣があり、木々が真っ白でした。
     (現在、その姿は市原市の山倉ダム湖で見ることが出来ます。)
    地元の方は鵜の落とした魚拾いに訪れていたそうです。
    海岸が埋め立てられ、餌場を失い昭和40年代には消滅してしまいました。
    淑徳大学は大巌寺住職が創立した大学です。檀林(僧侶学校)の様なものです。
    関東十八檀林(浄土宗の僧侶学校)のひとつに数えられた大巌寺、皆さんも訪れてみませんか?
    また、本校裏の第一大巌寺踏切付近には昭和の初めに大巌寺駅もありました。


  • 生実城

    本校の南側に池があるのをご存じでしょうか?
    生実池または弁天池と呼ばれていますが、江戸時代には生実城と呼ばれた生実藩の陣屋の外堀でした。
    千葉市内では唯一の大名である森川氏、秀忠の側近として仕え、秀忠死去にともない殉死したと言う森川出羽守重俊。
    父秀忠を嫌っていた三代目家光からのお家取り潰しを逃れるために殉死したともいわれています。
    その後、幕末まで森川氏は存続しました。
    初代から歴代藩主の墓地が生実陣屋だったすぐ下の重俊院というお寺にあります。
    生実は歴史の宝庫なんです。是非母校を訪れた際にはお立ち寄り下さい。
    車なら数分、歩いても15分程度です。重俊院に広い駐車場やトイレがあります。
    千葉市埋蔵文化財調査センターに車を駐めて、大覚寺山古墳にも訪れてみて下さい。


  • 千葉市歴史散歩完歩

    フジサンケイリビング総武・常磐編集室編集の昭和50年(1975)11月発行<京葉散歩>千葉市編を本棚から発見し、このコースを歩いてみようと1月から歩き始め、16日間で完歩しました。
    当時の人口は約50万、ちょうどいろいろなニュータウンが造成され始めた頃です。
    現在は100万になろうかとしていて、当時の倍になりました。便の良い空地と言うところは住宅で埋まってしまいました。
    本に書かれている道路も変わり、バス便も全く変わってしまったところも多々ありました。
    千葉市中心部から稲毛区に掛けては陸軍の大きな地域だったのだなと新めて知ることが出来ました。
    幕張地区は千葉氏一族の支配するところだったこと、花見川区から若葉区に掛けては御成街道が通り、江戸期の歴史が残っていました。
    土気地区は土気城跡や大椎城跡など千葉市の歴史が詰まっていました。
    全行程16日、万歩計の距離234km、楽しく歩くことが出来ました。
    陸軍が置かれていたこともあり、2回の大空襲で中心部は焼け野原となりました。
    川崎製鉄千葉製鉄所が開かれ、消費の町から生産の町へと変貌しました。
    川鉄公害訴訟などもありましたが、空も海も川も綺麗になり、鉄道や道路も整備され、まだまだ文化レベルは低い千葉市ですが、箱物行政から住民へ優しい町へと変わりつつあります。
    残念ながら埋立で出来た美浜区は巡っていません。

    歩いたコース

    スタートは千葉駅

    ゴールは寒川神社

    ビデオ再生リスト※現在14日目までです。


  • 日程決定

    千葉市支部年間行事で日付未定の2件が決定致しました。

    今期快調の千葉ロッテマリーンズ応援ナイター
     令和元年7月26日(金) 対楽天戦

    そごうビアガーデン暑気払い
     令和元年8月21日(水)

    アンケートで参加希望の方には随時案内をご送付申し上げます。
    また、参加希望者以外の方、他支部の方の参加も受付ていますので、どしどし応募下さい。
    メニュー「管理人へ連絡」からお願い申し上げます。


  • 大椎城跡

    土気あすみが丘の豪邸地区One Hundred Hillsの南側に大椎城跡が残されています。
    千葉氏の祖平忠常が築城した城です。
    後裔の千葉常重が1126年6月1日、猪鼻に拠点を移すまで千葉氏の居城でした。
    千葉氏滅亡後は土気城主酒井氏の出城となりましたが、酒井氏滅亡後に廃城となりました。
    千葉市では猪鼻へ移転した日を「千葉開府の日」と定めています。


  • 廿五里と二十五里

    市原市支部の会報41号に清水氏(29C)の「市原市難解な地名集」と言う記事がありました。
    「廿五里」があり、あれれ、千葉にもあったぞと思い起こしました。
    市原市の「廿五里」は「ついへいじ」と読みます。
    市原市の広報に掲載されていました。
    平成23年3月1日号の一部です。

    場所は

    千葉市の「二十五里」は「つうへいじ」と読みます。
    やはり、鎌倉時代です。千葉常胤の重臣の通平寺氏が、敵の侵入に備えて、この地に砦をつくったのですが、鎌倉からの距離が二十五里あるので、廿五里城と名付けたそうです。
    現在、この地名は宅地開発され「みつわ台」となり、消滅しましたが、一部史跡として残っています。

    今昔マップ

    Googleマップ

    で実際に二十五里あったのでしょうか?
    鎌倉-五井間のJR距離は106.2km 一里=3.9kmで約27里
    鎌倉-千葉間のJR距離は89.6km 約23里
    まあ、鎌倉時代なので、そんなものでしよう。

    千葉市の二十五里付近を歩いたビデオです。

    ついでに頼朝が房州に上陸した安房勝山のビデオです。