御宿台と月の砂漠
メキシコ記念公園と寺社巡り
千葉県立千葉工業高等学校同窓会千葉市支部
御宿台と月の砂漠
メキシコ記念公園と寺社巡り
御宿と言うと、海水浴や月の沙漠を思い出す方が多いのではないでしょうか?
外房支部ですが、会員の方は居られるのでしょうか?
詩人である加藤まさを氏が度々訪れ、最後はこの地に移住されこの地で眠られています。
加藤まさを氏の作詞作品「月の沙漠」の像
1609年(慶長14年)にフィリピンからメキシコへ向かうスペイン船が難破(373人)し、岩和田町民(当時300人ほど)総出で救助したのが縁で姉妹都市として結ばれています。
この記念塔は1928年(昭和3年)に建てられました。
列車や国道128号からは見えない山の上に大きな住宅地が展開されていたのには驚きました。
土気あすみが丘チバリーヒルズの様な住宅地でした。
大きなホテルの様な建物はラビドール御宿と言う介護付有料老人ホームです。
千葉都市モノレール共同開催の千城台駅コースに参加をしました。
千城台には管理人も10年ほど暮らしていたので、懐かしく歩きました。
コースは千城台から小倉台に向かい、坂月などを抜け、昨年秋に「国特別史跡」となった加曽利貝塚を抜けてJR都賀駅ゴールです。
皆さん若い頃に運転免許を取得するの坂月には行かれた方も多数おられると思います。
千葉駅から東金街道のバス便のみでバス停から木々に囲まれた坂を上がり10分くらい掛かりましたか、坂月運転免許試験場は不便でしたね。
安房勝山駅から大黒山(だいこくやま)展望台と源頼朝上陸地に寄ってみました。
以前から内房線で安房勝山駅を通ると小高い山の上に天守閣の様な形をした展望台が気になっていました。
駅前観光案内所で尋ねると、あれは竹下さんのふるさと創生資金で建設したとのこと、確か1億円が地方自治体にばらまかれたときですね。
源頼朝上陸地は石橋山で平家との戦いに敗れ、源氏恩顧の豪族が多い房州に逃れ、豪族を集め再起し、鎌倉幕府へと繋がって行ったのです。
千葉常胤などもそうですね。その千葉氏も酒々井の本佐倉城で滅び、歴史の栄枯盛衰が伝わって来ます。
市原の国分寺や国分尼寺跡や古墳など、県内にも歴史遺産がたくさんあり楽しいですね。
先週に引き続き、春の訪れを感じる南房州富浦を歩いて来ました。
南総支部の方なら頼朝桜をご存じだと思いますが、鋸南町の河津桜を頼朝桜と呼んでいます。
昨年も同じ時期に訪れましたが、今年も懲りずに訪れました。
見頃は来週辺りからかなと思います。
わざわざ、河津まで行かなくても河津桜を楽しめます。
駅からハイキング保田駅コースに参加をしました。鋸南町は南総支部です。
昨年も同じコースに参加をしましたが、2回の強風による保田川を流れる潮風で花は壊滅状態でした。
昨年は22日、今回は強風のニュースが入らないうちにとホームページで開花状況を確認し、受付開始日の今日訪れました。
開花情報ホームページ
コースは昨年と全く同じ、日付とコース番号以外は何も変わっていません。
駅に着きました。ホーム側には頼朝桜が植えられています。やや早い感じがします。
頼朝桜まつりの幟です。頼朝桜の謂われはコース表に記載されています。
保田川沿いの開花状況は日当たり良のところは8分咲き、対岸は3分先程度でした。
折返しから長狭街道を戻ります。途中の寺に寄り道してみました。
今回は富士山が見えませんでしたので、海岸には寄らず、駅に戻りました。
上りの日中は全て木更津止まり、君津での快速乗り継ぎに合わせた運行となっています。
昨年のビデオです。
本(もと)佐倉城に行って来ました。北総支部です。
国立歴史民俗博物館のある佐倉城以前に千葉氏が現亥鼻の地からこの地へ移転し、滅亡した地です。
徳川の世になり、松平忠輝が一時封じられますが、その5年後に現在の佐倉城の地に移転をし、廃城となりました。
千葉勝胤(かつたね)の建立した勝胤寺には千葉家の供養塔が残されています。
将門口ノ宮神社
千葉氏時代に将門を祀るために建立された神社で、江戸期に佐倉惣五郎も堀田正信によって祀られた神社です。
本佐倉城に向かいます。セッテイ山(接待郭)で人質などが置かれたと考えられています。
東山虎口、右側が東山です。虎口からは京成大佐倉駅に出られます。
東山からの展望、京成電鉄が走り抜けてます。筑波山も遠望出来ます。
ユーカリが丘沿線で竹林火災があり、一時運休中となっていました。
詳細
https://www.town.shisui.chiba.jp/static/chunk0001/road_and_guidepost/motosaku/motosaku.html
14日に佐倉を歩いた動画です。
坂道めぐりです。
先日、小湊鐵道海士有木駅から上総国分尼寺跡までぶらりしました動画です。
市原市と言うと石油コンビナートが頭に浮かびますが上総国国府として栄えた往時の史跡がたくさん残っています。
何故こんなに史跡が多いかと言うと、奈良時代はまだ東海道がなく、都から蝦夷地(東北)への入口は三浦半島から東京湾を船で渡り、木更津付近に上陸し北上していたからです。そんなことで房州には日本武尊の伝説も多く残っています。
歩くと楽しい市原市ですね。
強風の中での撮影でした。風切り音が大きいので音量は小さめにご覧下さい。
三部作です。
薬師坂を上り、左手に進むと武家屋敷通りですが、回り道をして「くらやみ坂」です。
何度も歩いている武家屋敷前ですが、今回は210円を払い入場しました。自撮りです。
佐倉観光案内の写真に登場する「ひよどり坂」です。当時、武士が屋敷から城の往復に使っていた坂道です。
ここから城へが駅からハイキングのコースですが、今回は城の周囲を巡ります。城南堤です。佐倉城に石垣はありません。全て土塁です。
佐倉城跡の最西にある出丸にある薬医門です。あちらこちらと遍歴があり、城へ戻って来ました。
「へび坂」を抜けると歴博前の陸軍当時の便所跡に出ます。陸軍の遺構を探すのも面白いです。
国立歴史民俗博物館です。しっかり見学をすると半日は掛かります。
博物館入り口の坂「愛宕坂」、坂の途中にあった愛宕神社から名付けられたそうです。
陸軍進駐時に追い出され、現在は近くに建立しています。
愛宕坂の途中にある臼杵の石仏です。石ではなくとある材料で造られています。何でしょう?
市役所へ向かう途中の「海隣寺の坂」、坂を上った近くに海隣寺があります。
佐倉市役所、休日ですがオープンしていました。トイレを拝借しました。
一旦下って、また上ります。「猿が脇の坂」、上ると市立美術館があります。
市立美術館の裏通りに、あの千葉駅前の塚本ビルオーナーの広い屋敷の隅っこに刀剣の美術館「塚本美術館」があります。
表通りには「おはやし館」など楽しい施設がありますが、今回は裏通りを抜け駅に戻りました。
順天堂発祥の地や藩主堀田邸などもあり、歴博見学で1日楽しめます。城内には菖蒲園もあり、季節毎に楽しいですよ。
昨日、小湊鉄道海士有木(あまありき)駅から山倉ダムを一周し、諏訪神社や上総国分尼寺と巡って来ました。
市原市は古墳などの史跡が多い市です。その中でも上総国分寺と上総国分尼寺があり、上総国分尼寺は建物が一部復元されています。
奈良時代には上総の国の中心地だったのですね。どちらも国の史跡指定です。
赤枠が巡った地点です。
駅前から山倉ダム(こどもの国)までは道案内標識が建っています。
山倉ダム、海岸に出来た工場に工業用水を送るために出来た人造湖です。
鵜が生息し、木は真っ白でした。
今から50年以上前ですが、母校近く、蘇我中近くに残る地名で鵜の森と言う地名があります。
正確には大巌寺の近くだったと思いますが、やはり鵜が生息して、周辺の木々は真っ白でした。
山倉ダムにある「こどもの国」、一度は訪れたことのある方も多いのかなと思います。
大人入場料700円でしたので入りませんでした。シニア料金は70歳から400円でした。船橋のアンデルセン公園は65歳以上無料なのにケチですね。
上総国分寺跡には「国分寺」と言う真言宗のお寺がありますが、これは上総国分寺とは一切関係はありません。跡地に出来た寺です。
現在の市原市庁舎よりも高い七重塔の礎石です。鋸山から運んだそうです。
市原市役所の脇を抜けると上総国分尼寺があります。見学無料です。
展示館があり、訪れると20分のためになるビデオを観ることが出来ます。またジオラマで詳しい説明もしてくれます。
市役所と道を挟んだ市民会館前にバス停があり、1時間に3~4本あります。バスで五井駅に戻りました。250円です。ICカード対応です。
小湊鉄道五井駅車庫に蒸気機関車展示コーナーがあります。写真は現役のSLもどき観光列車です。
五井駅から市役所行きも多数本数があるので上総国分寺跡と国分尼寺跡は訪れる価値はあるでしょう。
以前から西船橋駅東西線に乗ると左手に見える原木山妙行寺の立て看板が気になって、いつかは訪れたいと考えていました。
やっと実現しました。
市川市は東葛支部です。
下総中山駅から真間川を中心に歩きました。
こちら側を巡るのは初めてですが、ニッケコルトンプラザと千葉県立現代産業科学館は前に訪れています。
桜の季節に真間川散歩も楽しいでしょう。
京葉線新浦安駅から埋立の海側を散歩して来ました。
東葛支部エリアです。
整然と整備されたマンション、学校とホテルと公園の人口の街です。
神社仏閣と一戸建はありません。
幕張のレッドブルはここから飛んで来ます。
幕張は地元千葉市支部です。
管理人も花見川区に住居を構えて30年、歩いてみないと知らないことが多いなぁと思うウォーキングでした。
前編は旧市街です。
後編は主に埋立地区です。メッセ周辺は別ビデオで公開しているので訪れませんでした。